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植田茉莉子

育児と人形制作の日々

なりたい自分

「なりたい自分になる」という言葉が目に留まる。ストレス無く美しく生きれるかのような気持ちになる。そんなスーパ―ウーマンとはほど遠い私。

 

読書家で思慮深く冷静かつ情熱的でありたい。

創作活動したい。

美味しいご飯食べたい。

毎日お茶の時間にはお気に入りのカップ&ソーサーに美味しいお菓子が欲しい。

夕食はワインを飲みながら作りたい。

野の花や薔薇の咲く庭を眺めながら無邪気にはしゃぐ子供達をみて微笑みたい。

気になる展示には必ず足を運ぶ。

 

なりたい自分になるというより願望だなこれは。

もっと些細な現実ひとつひとつと向き合うことだよな。

依存という意味ではなく自分の欲求に逆らわない事。

 

 

庭の件は我が家の住宅事情ではなかなか厳しい。

 

 

ブログ

 私はTwitterでぼやいてブログで語ろうかと考えてたいた。まだ使い分けが上手くいかない。

Twitterは文字制限があるので長文に向かない。

ブログは書きたいように書けるけどTwitterに比べると孤独。

Twitterではリアルな知り合いがいることもあり、なるべく軽めな発言にしたい。

ブログはリアルな知り合いの繋がりは無いはずなので思いのまま書ける。

大して恥ずかしくも際どいことも書かないのに線引きしてしまうのよね。

たぶん、対人関係の築き方に問題ありなんだと思う。

だから連動できない。

人付き合いが下手なのは子供の頃からで特定の人としか仲良くしない傾向があった。

大人数は苦手なのだ。勝手に埋もれた状態になり黙ってしまう。みんなが話してくれるから話す必要はないと思ってしまうし、同調できない場合辛い。頑張ってしゃべるとそれが伝わり私も相手も疲れてしまう。

 

不思議な事に人形教室では人が多くても少なくても楽しい、しゃべらなくてもいい。美大にいた時は孤独なことも多かった。いやいや楽しいことは沢山あったし、贅沢な時間だったのは確かだ。ただ、深刻ぶっていて、自問自答ばかりして自分を追い詰めていた。現代アートについて考えすぎていたと思う。体系的に学んで、理解したとしても共感できるとは限らない。

昔の私に「ありのままでいいんだよ、無理しないで好きを極めればいいんだよ」と言ってあげたい。私にも野心家だった時代があった。

今はただ、自分が可愛いと思える人形を自分で作りたい。

そしてさらに余裕が出来たら絵を描きたい。

 

子供達が成長し、ほんの少し育児が落ち着いてきて創作の風が吹いてきた。染み渡ってくる感じがする。私の大好きな空気。

これがないと生きてる実感が湧かない。

いくら家族が愛おしく大切な存在であっても。

これはこれ、それはそれ。

 

人形展

 先日、人形教室の生徒さんの二人展を見に行ってきた。すでに亡くなった方で、最後にお会いしたのは教室展の時で息子の妊娠前。その方が体調崩して教室に来てないと知ったのは私が教室復帰した後で病状がかなり進行していた頃だったと思う。

 私が人形教室に通いだした時、同じ曜日だった方だ。その頃は、マダム達(人形制作など多趣味でお孫さんやペットのお世話もしたりとパワフルな奥様方の通称)と人形制作に情熱を燃やしている若い人達がいた。私にとっては皆大先輩です。

そのマダムの1人で、いつも朗らかで私が至らない点をやんわりと注意してくれたり(相手を嫌な気持ちにさせない)お母さん的な方だった。とても活動的だったし、急な訃報で驚いた。寂しい。

そんな方の最後の展示。

 

 この人形展で感じた事は、娘さん達の存在にある。

多作な方だったので展示されていたお人形の数は個展並み、娘さん達はお人形は作らないので扱い方や展示の仕方、梱包など分からない事だらけだったと思う。

先生や親しかった生徒さんがお手伝いに行くと聞いていたので恐らく展示は先生主導だったかもしれない。お手伝いがあったとしてもかなりの大仕事だ。

展示でお会いした娘さん達はお母さんにどことなく似ていた。

 

 これからお人形達がどうなるのかは正直わからない。沢山の思いが込められたお人形だと思う。以前「可愛いと言ってくれる人が1人でもいてくれたらそれで十分」みたいなことを言っていた。どの人形も優しい雰囲気で可愛らしい。

 人形の世界はプロとアマが入り交じり、「好み」がものをいう。造形美の追求でもある。趣味の柔らかさもある。精神性のあらわれでもある。

作り手や持ち主に大切に飾られ、しまわれていたお人形達が外に出て展示される。

見て欲しい、売れて欲しい、大切にして欲しい。自分の至らない点がさらされる恐怖もある。いろんな思いがあるのです。

 お人形を作る時は必死で他の事は考えてない。余裕がないともいう。雑念なしで心地よい時間ともいえる。

人形という人のカタチをした存在には何かが残る。

意識の中に今までにはないモヤモヤが残った。このモヤモヤは一体一体作り上げて消化されていくものだと思う。

可愛くも不思議の国の住人で怖くもあるお人形達。

独特の趣味かもしれない、虜になったともいえる。

でも、どんなに手がかかろうと作りたいし好きなのだ。

そんな存在があるのだから幸せだといえる。

 

時代に合わない

 朝から洗濯機の脱水機能がおかしくなりまだ洗濯終わりません。脱水の段階で何度も止まってしまうので、1からやり直し。

お天気良いのに息子とお散歩に出る気力を無くしてしまいました。

そんなちょっとした上手くいかない事が刺激となり、自分が時代に合わないとか学校が嫌いだった事などを思い出してしまいました。

そのキッカケになった記事のURLのUPはしません。

学校の休み時間に本など読まずにみんなと遊ぶよう指導した先生の記事でした。

時代や学校になじめないというのは、同世代の友達と興味が合わないに繋がります。

そんな時は気になる本でも読んで自分の世界観を広げたり、訳の分からないモヤモヤを知りたいという欲求を満たしたいのです。

友達と遊び交流する事はコミュニケーション能力を高めるし健全かもしれない、先生の気持ちも分かるしイジメ対策になるのかもしれない。

でも根本解決にはならないのです。

ぼんやりとした違和感が大きくなると自分にこもってしまうな、良くないですね。

本だってなんだって、心の赴くままに楽しみたいし味わいたい。

私の学校嫌いをそろそろ克服しないとね、娘の入学前に。後2年しかなーい。

人形の手

 人形の手は重要なポイントの1つです。

手がイマイチだと可愛さがすこーし下がってしまうと思うのです。繊細でふっくらした指、小さい可愛らしい爪。

ところが原型で細く繊細に作ってしまうとビスクにした時縮むので、かなり細くて折れそうな手になってしまいます。細くて折れそうは良い意味ではありません。意図的にそう作るなら話は別ですが。 原型でふっくら作ったつもりでもビスクにするとびっくりするくらい小さくなるのです。

一応気をつけて作っているつもりでも、ヤスリがけや形を整える過程で細くなってしまう。

肉付けしては形を整える、この繰り返し。

難航していますが、頑張ります。

 

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そしてこの前教室で先生からアドバイス頂き、お顔も少しづつ完成へ向かっています。

後は体の受け部分の処理すれば型を作れる段階へ行けるかも。あと一息。

 

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そして今日はお雛様飾りました。

子供達も大喜び、触りたくてたまらない様子でした。なので普段使わないお部屋に飾ってあります。

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苦手を克服

友達といるのは楽しい、1人でいるのはもっと楽しいと思うことがある。

学生時代はずーっと友達といたかった。一人暮らしで寂しかったからだと思う。

今は小さい子供がいるせいか、お友達と会うのは1〜2時間くらいで十分と感じてしまう。

ばったり道端で挨拶し、ちょっと立ち話するくらいでもいい。もう少し話したかったと思うくらいが丁度いい。

もともと社交的なタイプではないから丸一日遊ぶとなると消極的になる。行くと楽しいのにね。何故だろう?不思議。

そんなに遊ぶことに貪欲なタイプではない。

どちらかというと本読んだり映画みたり可愛い雑貨みたりするのが好きだ。

同じ趣味か似た者同士ならいいけれど、たとえ気が合う相手でも趣味が似ているとは限らない。

 

子供を沢山遊ばせてあげたい。

この苦手意識をサラッと克服したいな。

お人形

 これまで妊娠期や産後のバタバタで集中して人形に取り組めていなかった。

もうそろそろ先へ進む気持ちがないといつまで経っても完成しない(泣)

産前から取り組んでいる原型、これからは週に2日は1時間でもいいから制作していこうと決めました。決めないと出来ないという情けない面がある私。

家事育児優先だとこのくらいが限界かと。

 

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今日はその一歩。週末の人形教室に向けて、原型のヤスリがけ。明日も頑張りたい。