ドールハウス

植田茉莉子です。創作人形 bisque dollを作っています。

六本木のアートギャラリー

今日は夫に子供達を託し、六本木へ。

お目当てはGALLERY MoMoで大学の同級生だった小野さおりちゃんの個展。

アートの世界で活躍している同級生の存在は頼もしく制作活動する意欲や勇気をもらいました。

小山登美男ギャラリーのパウロ・モンテロイ展やタカ・イシイギャラリーの五木田智央展も印象的で、どちらもみる者の気持ちを上げてくれる作品でした。緊張感と遊び心。

あー、上手く表現出来ないもどかしさ。

 

 

本日のメインイベント(半分嘘)はお酒を飲みながらおしゃべりしたこと。皆歳をとり経験値があがると話す内容も変わります。

基本的な性格や発想は変わらないのでそこが面白い。

よく育児相談などしているお友達は絵描きでアトリエも運営しているしっかりもの、絵描きのさおりちゃん、そして人形作りの私(かけだしですが)、三者三様。

アートギャラリーに行かなくなって久しく絵も描いてないのに、あの雰囲気や絵画の醸し出す独特のにおいにhomeを感じるのは、人形作り出して日が浅いためか、やり残した何かを求めているのか。

 

答えはまだわからない。私のなかで、ママだけではいられないウズウズしたものがあるのは確かなことだとはっきり認識しました。

これから家事育児とどう両立していこうか。

モールド作り

原型が完成しモールド作りに入りました。

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私には大きい子なので随分難航したし、育児との両立はなかなかスムーズにことは運ばず、もどかしい気持ちにもなりましたが、ここまでくれば後は淡々と作業に没頭するのみ。

 

手の壁作り。

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ビスクになるまで後どれくらいかかるだろうか、気が遠くなる。

 

 

モーリス・センダックの絵本

 「かいじゅうたちのいるところ」で有名なセンダック、著作は他にも沢山ある。文は別の作家が書いている作品も多い。それでも、彼の作品は一貫性があって好きだ。

絵本なのに大人も魅せられる。子供より私の方が好きかもしれない。

絵本に出てくる子供達は優等生はほとんどいない、いたずら好きで生意気で寂しがりやで好奇心旺盛で無邪気。子供だけど大人と変わらない。

 

 私はこの子供達が大好きだ。私は親だから、片付けなさいだの脱いだ服は畳なさいだのお菓子ばかり食べはだめ、お稽古しなさい。などなど、子供達に言い聞かせる。

口うるさいママなのだ。子供達はどうにかすり抜けようとするがママである私につかまり、場合によってはお尻ぺんぺんのお仕置きをくらう。

でも自分をなにより大切に思ってくれて守ってくれるママだと子供達は分かっている。

 

 センダックの絵本に綺麗事はない、あってもいいのにない、絵本なのだからと思う。

私はそこが好き。子供達に優等生になって欲しいとは思わないのだから。世の中どうにかすり抜けながら自分の楽しみを守って欲しい。

学級閉鎖

今日は娘の幼稚園で年少さんのみ学級閉鎖でした。明日から通常通りのはずでしたが、娘も発熱。とうとうきたかと思い、小児科へ。発熱からすぐだったのでインフル検査してもらえず。がっかりしていたら、お夕寝後の熱は37度台まで下がったのでもしかしたらただの風邪かもと少し期待しています。

軽い咳と発熱、明日どうなるか。

 

 学級閉鎖中なので大事をとり、お家に引きこもってました。

午前中は子供達のお絵かきに便乗して私も

ブリュを描いてみました。自分のスケッチブックを引っ張り出して久しぶりの鉛筆。

ブリュの顔の比率を探ろうとしていたら描く方に集中してしまい、途中で混乱しながらも楽しかったなぁ。肩肘張らずにちょくちょく描いていこう。

そしてスケッチブックが入っていた箱に大学時代のポートフォリオも入っていて懐かしく眺めました。

平面から立体へ移行するきっかけの作品を発見。今みると微笑ましい作品たち、あの頃は真剣だったな。過ぎてしまえばたとえ苦い思い出も懐かしいものになります。

 

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 私は箱が好き。

ジョセフ・コーネルの知ったのは予備校生の時だった。課題でボックスオブジェを作った時、講師が紹介してくれた。

私が作ったボックスオブジェは赤い糸で繋がりを表現し木で故郷を表現しようとしたものだった。制作過程は楽しかったけどビジュアル的にはイマイチ。

自分で作るセンスは無いが魅せられた。

画家以外で初めて購入した画集はジョセフ・コーネルのものだった。

弟を楽しませるために作ったというのも響く。だからノスタルジーを感じさせるだけでなく面白みがあり、見ていて心地よい。

 

標本もそれにあたる。

靴や人形が箱に入ってるのも好き。

ただ棺にお人形を入れているのははっきり言って嫌い。

最近、好きなものは手元に欲しいと思うようになった。そのもの自体がもつ空気を感じ取りたい。雑誌の写真やネットや画集もいい、ただ可能ならば実物をお迎えしたい。

創造のカケラというか息吹というか肌で感じ取れるように。

 

 

 

 

人形展

 先日、人形教室の生徒さんの二人展を見に行ってきた。すでに亡くなった方で、最後にお会いしたのは教室展の時で息子の妊娠前。その方が体調崩して教室に来てないと知ったのは私が教室復帰した後で病状がかなり進行していた頃だったと思う。

 私が人形教室に通いだした時、同じ曜日だった方だ。その頃は、マダム達(人形制作など多趣味でお孫さんやペットのお世話もしたりとパワフルな奥様方の通称)と人形制作に情熱を燃やしている若い人達がいた。私にとっては皆大先輩です。

そのマダムの1人で、いつも朗らかで私が至らない点をやんわりと注意してくれたり(相手を嫌な気持ちにさせない)お母さん的な方だった。とても活動的だったし、急な訃報で驚いた。寂しい。

そんな方の最後の展示。

 

 この人形展で感じた事は、娘さん達の存在にある。

多作な方だったので展示されていたお人形の数は個展並み、娘さん達はお人形は作らないので扱い方や展示の仕方、梱包など分からない事だらけだったと思う。

先生や親しかった生徒さんがお手伝いに行くと聞いていたので恐らく展示は先生主導だったかもしれない。お手伝いがあったとしてもかなりの大仕事だ。

展示でお会いした娘さん達はお母さんにどことなく似ていた。

 

 これからお人形達がどうなるのかは正直わからない。沢山の思いが込められたお人形だと思う。以前「可愛いと言ってくれる人が1人でもいてくれたらそれで十分」みたいなことを言っていた。どの人形も優しい雰囲気で可愛らしい。

 人形の世界はプロとアマが入り交じり、「好み」がものをいう。造形美の追求でもある。趣味の柔らかさもある。精神性のあらわれでもある。

作り手や持ち主に大切に飾られ、しまわれていたお人形達が外に出て展示される。

見て欲しい、売れて欲しい、大切にして欲しい。自分の至らない点がさらされる恐怖もある。いろんな思いがあるのです。

 お人形を作る時は必死で他の事は考えてない。余裕がないともいう。雑念なしで心地よい時間ともいえる。

人形という人のカタチをした存在には何かが残る。

意識の中に今までにはないモヤモヤが残った。このモヤモヤは一体一体作り上げて消化されていくものだと思う。

可愛くも不思議の国の住人で怖くもあるお人形達。

独特の趣味かもしれない、虜になったともいえる。

でも、どんなに手がかかろうと作りたいし好きなのだ。

そんな存在があるのだから幸せだといえる。