植田茉莉子

育児と人形制作の日々

人形展

 先日、人形教室の生徒さんの二人展を見に行ってきた。すでに亡くなった方で、最後にお会いしたのは教室展の時で息子の妊娠前。その方が体調崩して教室に来てないと知ったのは私が教室復帰した後で病状がかなり進行していた頃だったと思う。

 私が人形教室に通いだした時、同じ曜日だった方だ。その頃は、マダム達(人形制作など多趣味でお孫さんやペットのお世話もしたりとパワフルな奥様方の通称)と人形制作に情熱を燃やしている若い人達がいた。私にとっては皆大先輩です。

そのマダムの1人で、いつも朗らかで私が至らない点をやんわりと注意してくれたり(相手を嫌な気持ちにさせない)お母さん的な方だった。とても活動的だったし、急な訃報で驚いた。寂しい。

そんな方の最後の展示。

 

 この人形展で感じた事は、娘さん達の存在にある。

多作な方だったので展示されていたお人形の数は個展並み、娘さん達はお人形は作らないので扱い方や展示の仕方、梱包など分からない事だらけだったと思う。

先生や親しかった生徒さんがお手伝いに行くと聞いていたので恐らく展示は先生主導だったかもしれない。お手伝いがあったとしてもかなりの大仕事だ。

展示でお会いした娘さん達はお母さんにどことなく似ていた。

 

 これからお人形達がどうなるのかは正直わからない。沢山の思いが込められたお人形だと思う。以前「可愛いと言ってくれる人が1人でもいてくれたらそれで十分」みたいなことを言っていた。どの人形も優しい雰囲気で可愛らしい。

 人形の世界はプロとアマが入り交じり、「好み」がものをいう。造形美の追求でもある。趣味の柔らかさもある。精神性のあらわれでもある。

作り手や持ち主に大切に飾られ、しまわれていたお人形達が外に出て展示される。

見て欲しい、売れて欲しい、大切にして欲しい。自分の至らない点がさらされる恐怖もある。いろんな思いがあるのです。

 お人形を作る時は必死で他の事は考えてない。余裕がないともいう。雑念なしで心地よい時間ともいえる。

人形という人のカタチをした存在には何かが残る。

意識の中に今までにはないモヤモヤが残った。このモヤモヤは一体一体作り上げて消化されていくものだと思う。

可愛くも不思議の国の住人で怖くもあるお人形達。

独特の趣味かもしれない、虜になったともいえる。

でも、どんなに手がかかろうと作りたいし好きなのだ。

そんな存在があるのだから幸せだといえる。